病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2018年3月5日月曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル20(L.カナーの成功例の考察2)

ブログ管理者のまさぞうです。

レオ・カナー先生による自閉症フォローアップ研究論文の考察続編です。

今回の論文は1972年発表の
自閉症児はどこまで社会に適応できるか?」です。
(How far can autistic children go in matters of social adaptation?)

----------------
<論文要約>
 ジョンズ・ホプキンス病院を1953年以前に受診した96名の自閉症児の中で,一般社会によく適応できた9症例(男児8名,女児1名)について報告する。彼らは診断時2歳10ヶ月〜8歳1ヶ月であったが,1971年末の現在においては20〜30歳代になっている。彼らの社会適応は良好で,ほぼ自立して生活しており,多くの場合高等教育を受け,収入のよい仕事についている。社会適応の良否を分けた発達面,環境面の条件や,また行動・気質上の違いについて考察する。

<はじめに>
 われわれは先日,1943年に報告した11例の自閉症児について,その後20年あまりの経過を追跡調査した論文を発表した(1971年発表のレオ・カナー1943年に報告した幼児自閉症11例のフォローアップ研究Follow-Up Study of Eleven Autistic Children Originally Reported in 1943 前回の本ブログ参照)。その調査結果から,11例中2例において,幼少期には他の子供達と大きな違いはなかったにも関わらず,その後良好な社会適応を果たした事実が確認された。そのうちの1人ドナルド・T(このブログの症例11-訳注)は,銀行の出納係として働き,種々の地域活動にも参加して,1人前の市民として尊敬されていた。もう1人のフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)は,コピー機を扱う一般就労に従事し,上司から「信頼性,完全性,同僚への思いやりなどの面で傑出した従業員」と高く評価されている。

 彼らの生活歴を詳細に調べると,家族的背景,両親の性格,出生前後の状況,発達の経過,心身両面の診察所見などのあらゆる情報を加味検討しても,将来の社会適応の良否について予見するのは不可能,という結論に達せざるを得ない。すなわち自閉症患者の子供時代の発達・行動・精神状態をどのように分析しても,将来の社会適応レベルを予知することはできないのである。

 われわれはこの結果を踏まえて,追跡調査の対象症例数をもっと多くすれば,より広範囲の情報が得られ,自閉症の「自然経過(natural history)」が明らかになるのではないかと考えた。そこで1972年1月の現時点で思春期を過ぎている元自閉症児の生活状況を調べることにし,1953年以前に当院(ジョンズ・ホプキンス病院小児精神科)で自閉症と診断された患者96名のうち,良好な社会適応を果たした一群のケースを拾い上げてみた。彼らは一般社会の中で働き,自宅でも,職場でも,他の社会生活の場面でも,大きなトラブルを生じることなく周囲の人々に受け入れられている。

 すでに述べたドナルド・T(このブログの症例11-訳注)とフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)のほかに,今回われわれは9例の社会適応良好なケースを紹介する。

<このブログでこれまでに紹介した症例1〜9の提示>

<考察>
 1943年にわれわれが世界で初めて報告した自閉症(early infantile autism)の子供達は,29年後の現在(1972年)にはすでに成年に達している。一部の家族はあちこちに移動しているものの,多くの場合,患者本人の現状を把握することは可能であった。われわれはすでに昨年,フォローアップ研究の一環として,1943年に最初に報告された11人の自閉症児たちのその後の運命について論文を発表した1971年発表のレオ・カナー1943年に報告した幼児自閉症11例のフォローアップ研究Follow-Up Study of Eleven Autistic Children Originally Reported in 1943。当院においては1953年までに合計96人の子供達が自閉症と診断されているが,今回われわれは一般社会に適応できた成功例を選んで報告する。すなわち昨年の論文でとりあげたドナルド・Tとフレデリック・Wをのぞく,9例の患者たち(男性8名,女性1名)である。彼らは現在22〜35歳になっており,いずれも1943年時点では他の患児達と同じように,われわれの提唱した自閉症の診断基準を満たしていた。

(1970年以前の小児精神科における予後研究とその限界について述べているが,省略。)

 自閉症児たちのフォローアップは,われわれの病院において常に重要な関心事であった。患児たちの名前,症状,診断,その他の関連する情報はすべて保存整理され,データの追加修正も順次行われた。自閉症は1950年頃までは他の研究者からはほとんど注目されなかったから,われわれはいわば義務として,それらの情報を収集整理していたのである。患者たちは1955年には平均年齢14歳に達し,それまでに蓄積されたデータから予後判定の手がかりとなる知見が得られた。
自閉症児の予後は,5歳までに言葉をある程度使えるかどうかによって大きく異なる(5歳までに言葉が出ない子供は予後が良くない)」(カナー,アイゼンバーグによる1955年の論文)

 子供達の多くは1972年の現在,20〜30歳代になっている。1971年の時点で96例中の2例だけが追跡不能の状態にあるが,われわれは残りの94例に関して集められた情報から,社会適応の面で成功したケースを選び出した。

 96人の自閉症児のうち,11人がいわゆる一般成人として,様々なレベルの通常の社会活動に参加している。すなわち本論文で紹介した9例と,昨年の論文で紹介したドナルド・Tとフレデリック・Wである。彼らのうちで大学卒業者が3人,短大卒業者が3人,短大在学中が1人,高校卒業が1人,11年生修了(日本でいう高校2年生修了−訳注)が1人,私立の「特別な子供達のための寄宿学校」に入った者が1人,そして就労支援施設で職業訓練を受けた者が1人である。

 彼らの現在の職業は,銀行の出納係,検査技師,コピー機の操作員,会計士,農業研究所での肉体労働,事務員,図書館の外国語部門での助手,レストランのボーイ,トラックの積荷監督者,ドラッグストアの助手,そして大学生である。トーマス・G(このブログの症例1-訳注)とヘンリー・C(このブログの症例5-訳注)の2人は軍隊に入ったが,1年以内で名誉除隊となった。

 彼ら予後良好なケースと,今なお孤立状態にとどまり,社会とのつながりを持てない予後不良なケースとの違いは何だろうか?2つのグループの間に人種民族の違い,家族的背景の違い,また原因となりそうな特定の(外的)出来事はなかった。トーマス・Gは20歳を過ぎてから痙攣発作を起こすようになったけれども,予後と関係するような身体疾患も認められていない。

 しかしわれわれは今回報告した成功例において,いくつかの共通点を見つけることもできた。良好な社会適応を果たした症例は,自分たちの中に普通と違うおかしなところ(peculiarities)があることに気づき,自分なりのやり方で周囲の環境に働きかけ,社会的成熟を果たしてきたのである。

 また予後良好なグループでは,全例が5歳までにある程度の言葉を使うことができた。ただこれ(5歳までの言語使用)は良好な予後を保証するものではない。なぜなら5歳までに言葉を使えるようになったケースは96症例中に少なくなかったが,彼らの多くは今回報告した成功例ほどの社会適応を達成できなかったからである。一般に予後良好なグループでは次のような言語発達のパターンが認められた。すなわち,発語がない状態→即時型のオウム返し→遅延型のエコラリア(聞いた言葉をしばらくたってからオウム返しすること-訳注)と代名詞の逆転(自分のことを「私」と言わずに「あなた」「彼」または名前で言うこと-訳注)→強迫的な繰り返し発語→代名詞や前置詞を適切に使った会話。

 予後良好な11例のうちで州立精神病院や知的障害者施設に入ったケースは1つもなかった。われわれの経験からも,この種の施設への長期入所は例外なく子供から成長のチャンスを摘みとる結果に終わっている(カナーによる1965年の論文)。11人の子供達は全員小学校入学まで自宅で過ごし,そのうちの何人かはその後の数年間も自宅にいた。1971年の時点でも3人が家族と同居しており,他の者は里親に預けられたり,寄宿学校に入ったりしているが,いずれも親族と定期的な連絡がある。しかしながら家族との接触・交流が良好な社会適応を保証するわけではなく,自宅で家族と同居している自閉症者がみなこの11人のような社会参加を果たせたわけではない。

 予後良好な11例において繰り返し認められ,予後不良なグループと非常に対照的だったポイントは次の通りである。すなわち社会参加に向かって自己認識を徐々に変化させ,それに応じて自らの行動を修正していくこと

 われわれが出会った96人の自閉症児たちは,生後数年間は誰もがみな似たような特徴を示していた。すなわち外部からの誘導・強制ではない,自発的な孤立傾向。これは彼らにとって生来の傾向であり,子供達はその孤立状態の中でまったく満足していた。彼らは自らの殻の中に閉じこもることを好み,それを邪魔されるのを嫌がったし,外界との接触を最小限にしようと努めていた。年齢が上がるにつれて外からの働きかけをある程度受け入れるようにはなったが,それでも外的刺激への反応の乏しさは重度知的障害児とほとんど変わらないほどであった。後に彼らは徐々に人間というものに馴れてゆき,言語コミュニケーション,自分と他者の識別,自分の儀式的行動における親との協力,また握手,抱っこ,キスなどの日常動作を通じて,他者との共存を学んでいった。この学習過程は保育園や幼稚園でも続けられ,彼らははじめは促されて,後には多少自発的に,少しずつ集団活動に参加するようになった。

 やがて10代の前半〜半ばあたりになると,予後良好な自閉症児たちにはある共通の変化が生じた。すなわち他の多くの自閉症の子供達とは異なり,予後良好なグループは自分の中の普通と違うおかしなところ(peculiarities)に気づいて不安を感じ,それを何とかしようと意識的に努力しはじめたのである。彼らはこの努力を年を追うごとに強めていった。例えば彼らは『自分の年齢の若者は世間から友達を作るように期待されている』ということを発見し,自分には通常の友達関係を作るのが難しいと自覚すると,自らのこだわりから生じる得意分野を利用して他者とコミュニケーションをとる(知り合いを作る)という戦略をとった。

 トーマス・Gはボーイスカウトに参加し,天文学を教えたり,ピアノを弾いたりして周囲に認められた。また水泳サークルやスポーツクラブでも活動した。
 サリー・S(このブログの症例2-訳注)はすぐれた記憶力をいかして高校・大学では良い成績をおさめた。看護学生としては患者との対人関係でつまずいたが,後に検査技師として「化学に関する卓越した能力」で周囲の信頼を勝ち得た。
 エドワード・F(このブログの症例3-訳注)はハイキングクラブでの活動を楽しみ,植物や野生生物に関する知識で尊敬された。
 クラレンス・B(このブログの症例4-訳注)は「人との社会的関わりを強迫的に求めた。対人関係には不器用だったが,表面的には適応していた」。
 ヘンリー・Cは陸軍に入隊した。いくつかの収入の良い仕事についたが,「ギャンブルへの抑えがたい衝動」を感じている。
 ジョージ・W(このブログの症例6-訳注)は「周囲の人達を喜ばせようと過剰に気を使っている」。
 ウォルター・P(このブログの症例7-訳注)はレストランのボーイとして働き,「雇い主に好かれている」。
 バーナード・S(このブログの症例8-訳注)は市街電車博物館の会員であり,そこで線路を敷いたり,車両の塗装をしたり,ちょっとした旅行に出かけたりしている。
 フレッド・G(このブログの症例9-訳注)はその学問的才能で級友たちから尊敬されている。

 彼らの生活史をみると,社会性の欠如(対人関係が苦手)を何とか補おうとする努力が繰り返し認められる。成功した11人の自閉症者はその努力の中で,以前は自己満足のためだけに没頭していたこだわりを,今度は他者とつながる手段として利用するようになっていった。

 成長して他者との関わりの中に入っていった自閉症児たちは,やがて普通の若者にとって最大の関心事は恋愛問題(boy-meets-girl issue)であることを発見する。そこで彼らはその分野でも「周りに順応」しなければならないと感じ,異性との交際を試みるのだが,その試みは散発的であり,そしてあまり長続きはしなかった。実際のところ,彼らは恋愛なしの人生でも大した不満は感じなかったようである。

 ヘンリー・Cは,結婚しない生活を選んだ。何人かの女性が彼の「独身生活を終わらせようとした」が,彼は「長期間誰かに束縛されるのはイヤだ」と独身を貫いている。
 トーマス・Gは,「女の子には金がかかりすぎる」と恋愛には興味を示さなかった。
 クラレンス・Bは,大学時代にある女性と「社会化(socialized)」(交際)したものの,長くは続かなかった。彼は「僕は結婚すべきでしょうが,真剣でもない女性に金をムダに使うわけにはいかないんです」と述べた。
 バーナード・Sは,一度ある女性にデートを申し込んだけれども,やり方があまりに消極的だったために拒絶されてしまったという。
 フレッド・Gは,「試験的に」ダブル・デートをしてみたが,その後同じことを繰り返そうとはしなかった。
 ジョージ・Wは,「女の子は僕に興味を持ってくれない」と最初から決めつけることで,自ら恋愛関係のトラブルを回避した。
 サリー・Sは,成功した11人の中で唯一の女性である。彼女は23歳の時,「万一誰かのことを好きになったら,私は何をしたらいいんでしょう?」と真剣に尋ねた。それまで恋愛感情というものを抱いたことがなかったのである。彼女は「私は同年代の女の子のようには男の子に関心を持てない」と話し,その後,30歳の時にある男性と数ヶ月間交際したが,その関係は彼女が「親密になることを恐れた」ために終わってしまった。

<コメント>
 本論文の題名は「自閉症児はどこまで社会に適応できるか?」である。われわれは今回の長期追跡調査の結果から,かなりの確信を持ってその問いに答えられる。
 ジョンズ・ホプキンス病院を1953年までに受診した96名の自閉症児のうち,数学の天才的能力を持ちながら交通事故で死亡した1例,また1962年まで大学で成績抜群だったがその後の消息が不明な男性1例を除いても,11例が良好な社会適応を果たしていた。彼らは1972年の現在,20〜30歳代の成年に達しており,一般人にまじって働き,社会生活を維持している。
 彼らは幼少期にみられた自閉症の特徴から完全に脱却したわけではないが,10代後半から自己認識と努力を積み重ねて,社会から期待される人間像に合わせるよう自分自身を進化させてきた。彼らは居心地の良い孤独の殻に閉じこもることをあきらめ,そのかわりに自分の得意分野を利用して,様々な趣味のサークルや同好会に入り,対人関係について学んでいったのである。それらのサークルでは,自閉症児が長年にわたって熱中・こだわりの中で蓄積してきた詳細な知識(音楽,数学,歴史,化学,天文学,野生生物,外国語など)が他のメンバーからの尊敬の対象となったため,それが彼らにとって大きな楽しみとなった。また自閉症特有のこだわりが,仕事における綿密性や信頼性として,雇い主から高く評価されることもあった。
 こうして他の人間との共同生活もそれほど恐怖に満ちたものではなくなり,自閉症児たちはかつて周囲の人たちが開こうとした社会への扉に自ら近づき,はじめはおそるおそる,後には少し大胆に,人間社会の中に入っていったのである。いったん社会の中に入ると,彼らはそこでこれまでとは違う楽しみを見つけた。例えば(電化製品などの)物品を所有することもその一つである。成功した11例のうち3例は家族と一緒に住んでいるが,8例は独立して生活しており,中でもトーマス・Gは数年前に自分の家を購入している。成功した11人はすべて自動車を運転していて,交通事故や交通違反の記録はゼロである。

 社会から期待される人間像に合わせて,表面的な知り合いではない,もっと親密な友人や恋人を作ろうとする試みもなされたが,これはうまくいかなかった。ただ彼らは親密な人間関係を築けなくても,そのことで苦しんだり,自分や相手を責めることはなく,むしろ恋人がいないことにある種の安堵感を覚え,恋愛関係は「お金の無駄」「金がかかりすぎる」と考えた。サリー・Sは「親密さ(性的関係)」に恐怖を感じたし,ヘンリー・Cは特定の異性に長時間拘束されることを嫌がった。成功した11例の中で真剣に結婚を考えたケースは1例もなかったようだ。

 以上が良好な社会適応を達成した自閉症者(もと自閉症児)たちの生活歴である。これら成功した11例の半生は,社会適応不良なケースとは全く違ったものになっている。ただ残念ながらわれわれの追跡調査では,その社会適応の良否を分けた理由をはっきり特定することはできなかった。5歳までにある程度言語能力が発達していること,また州立病院や施設に長期収容されていないことは確かに成功例に共通した特徴ではあるが,予後を決定するほどの力は持たない。つまり社会適応不良な者の中にも,この2つの条件を満たしているケースが散見されるのである。

 したがって現時点でのわれわれの見解は,昨年(1971年)発表した論文の末尾にあるものと基本的に変わらない。すなわち「およそどんな病気でも,軽い不全型から重い劇症型まで様々な重症度のケースがみられるものだ。この重症度の違いというものは自閉症においても存在するのだろうか?」

 われわれが報告した11人の成功例は,現在用いられているような自閉症に対する特異的治療法(精神療法,薬物療法,行動療法など)がない時代に成長した。これらの治療を受ければ,われわれの経験した全96症例の予後は変わっただろうか?今後こういった治療法によって,社会適応成功例の割合を増やせるのだろうか?われわれの経験した11〜12%の成功例が,専門的治療なしで良好な社会適応を達成したという事実は,われわれに大きな課題をつきつける。現在では多くの州立精神病院が小児精神科の専門病棟を有しているが,これらの小児精神科病棟に入院した自閉症児は以前よりも良い予後を期待できるのだろうか?現在盛んに行われている生化学的研究が進めば,自閉症の重症度や予後を正確に予想できるようになるのだろうか?

 これらの疑問には重大な現実的意義がある。回答を得るには今後時間を要するだろうけれども,今回のわれわれの報告のような長期フォローアップ研究がそのきっかけになることを期待したい。明敏な読者はすでにお気づきだろうが,この論文を発表するにあたっては2つの目的があった。1つは表題の通り,自閉症児の成功した社会適応の実例を紹介すること,もう1つは自閉症児の長期追跡研究のひな型を提示すること。自閉症児を成年期までフォローするにはますます長い年月が必要になっており,われわれは今後この種の研究が種々の臨床・研究機関によって引き続き行われることを強く希望するものである。
          以上

0 件のコメント:

コメントを投稿