病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2017年3月6日月曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル15(L.カナーの成功例09)

ブログ管理担当のまさぞうです。

今日の基準からすると非常に重症の自閉症でありながら,
専門的援助なしで良好な社会適応を果たした
L.カナーの12症例のうち,第9例を紹介します。

症例9:フレッド・G

 フレッド・Gは1948年12月11日生まれ。ジョンズ・ホプキンス病院の初診日は1952年8月11日(3歳時)である。両親によると,フレッドはまず出生から6週間,断続的な泣きと腹痛の発作(colic)で家族を心配させたという。家族はみな心配してフレッドを抱いて歩きまわったが,フレッドはその腹痛発作がおさまった後も周囲の関心を引こうとして泣きつづけた。この問題はある賢い育児婦(nurse)が,「泣きたいだけ泣かせておく(cry it out)」という方針で臨むと解決した。生後3ヶ月の時,フレッドははじめて祖母の家に行き,先方に到着するとすぐ祖母の腕に抱きとられた。その時彼は恐怖のあまり3週間の滞在中ずっと叫び続け,それ以来知らない人を極端に怖がるようになった。

 フレッドはビネー式知能検査において,必要な動作の一部をきちんとやり遂げる能力を持っていましたが,こちらの指示に完全に従うことはできませんでした。型板(formboard)の穴と積み木を一致させる簡単な課題をやってみた時,穴と積み木の形を一致させるよう指示すると,フレッドは手を動かすより先にまず形の名称を呼びました。彼は自分と同じ部屋にいる人たちを完全に無視しており,何か問いかけられるとオウム返しに質問を繰り返すことが目立ちました。

 フレッドは帝王切開で出生し,生後14ヶ月で歩き,1歳の時に話し始めた。言語発達は良好で,たくさんの言葉を知っていたが,1人称(私[I])を使おうとせず,「はい(Yes)」というかわりに相手の言葉をオウム返しに繰り返すことが多かった。離乳は通常より遅くて難しく,また排便コントロールも簡単ではなかった。

 フレッドは家では音楽に熱中し,3歳の時にはレコードの外見から違いを識別できた。また曲を聞くと,「これはモルダウだ」「ベートーベンの(交響曲)5番だ」などと言い当てた。ジョンズ・ホプキンス病院の初診より6ヶ月前,フレッドは保育園に入園したが,他の子供達を非常に恐れていた。数日間母親が保育園でいっしょにいることで落ち着きを取り戻したが,フレッドは周囲の人達をまったく無視し,あらゆる集団活動に参加することを拒否して,「ただそこにいるだけ(was just there)」という状態であった。母親は自宅での息子について「これ以上ないというくらい,いい子です。ただ一人でいるのが好きみたいですけど」と語った。フレッドはおもちゃや道具などのモノ(inanimate objects)に対して,自分の思い通りにならないと怒りを爆発させることがあった。

 フレッドの父親は内科医になりたかったが,経済的事情から医学部進学をあきらめ,医学に関係する別の学校に進学した。3年後,彼はその学校をやめて,政府の秘密文書や秘密任務に関与する仕事についた。フレッドの母親は大学を卒業した後,数年間学校で教師として働いたが,フレッド誕生の1年前に退職している。フレッドの母親の家族は押しの強い人(pusher)ばかりで,母親自身も知的好奇心が強かった。母親は息子の障害について自分が責められるのではないかと恐れていた。全体にフレッドに関しては,家庭的(養育環境の)問題はなさそうで,家庭の雰囲気は音楽や知的議論といった文化的活動を重視する傾向があったといえる。

 フレッドは1952年(4歳)から1955年(7歳)の約2年半の間,感情の問題を持つ子供達のためのデイケアセンターに定期的に通った。彼はそこの責任者の女性と仲良くなり,通所終了後も数年間ときどき会っていたという。

 16歳の時のWISC知能検査で,フレッドは全IQ118(言語性IQ126,動作性IQ104)であった(IQの平均値は100であり平均以上の知能を示す-訳注)。下位検査のうち算数は最高得点で,回答もすばやかった。理解,類似,機械的記憶の下位検査は「平均の上」レベルであった。ロールシャッハテストでは,「衝動性と抑圧の間を激しく行き来している」「他者と関わろうとする気持ちと孤独を求める気持ちの間で戦っている」というコメントが得られている。

 23歳の現在,フレッドは大学生で,成績は平均B+と良好である。彼は数学の才能に恵まれており,大学生活での適応も問題なく,周囲の学生からは学問的才能によって尊敬されている。病的なこだわりは目立たず,例えば服装はきちんとしているが,かつてのように服に異常にこだわることはない。

 フレッドの現在の印象は「知的だが不器用」というもので,彼自身は同年代の他の若者と同じように行動しようと努力している。例えば「試験的に」ダブルデートをしてみたが,これは1回だけで後が続かなかった。フレッドは自動車を上手に運転するだけでなく,車の個々の部品について完全な知識を有している。また暇な時間には趣味で作曲をしたり,望遠鏡を組み立てたりもしている。

 フレッドは大学1年までは両親と同居していた。2年生からは本人の希望で寮に入ったが,家族(特に父親)は実家を離れることを少し心配していたという。

0 件のコメント:

コメントを投稿