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2017年3月20日月曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル17(L.カナーの成功例11)

ブログ管理担当のまさぞうです。

今日の基準からすると非常に重症の自閉症でありながら,
専門的援助なしで良好な社会適応を果たした
L.カナーの12症例のうち,第11例を紹介します。

本例と,次の12例目は,1943年にカナー先生が書いた
自閉症についての世界初の論文で報告された11症例の一部です。

症例11:ドナルド・T

 ドナルド・Tは1938年10月14日(5歳時)にジョンズ・ホプキンス病院を初診した。父親は30ページにおよぶ自作の病歴書類を持参し,そこにはドナルドの生育状況が完璧に記録されていた。ドナルドは1933年9月8日に満期正常分娩で生まれ,8ヶ月間母乳で育てられた後,様々な調合法の人工栄養(ミルク)が与えられたという。13ヶ月で独歩可能となり,歯牙発生も順調であった。

 ドナルドは1歳の時から数多くのメロディを正確にハミングしたり歌ったりしていました。彼は家族に教わっていくつかの短い詩を暗誦することができ,さらに旧約聖書の詩篇第23篇や,長老派教会の25の教理問答も覚えていました。さらにコンプトン百科事典にのっている数多くの絵をたちまち記憶してしまい,すべてのアルファベットを順逆両方の順番でいえるし,すぐに100まで数えられるようになりました。ただ音韻やそれに関連する事柄を除き,自分から質問したり,人の質問に答えたりはしませんでした。ドナルドは完全に自分だけの世界に生きているようで,あやしてもらっても相手に愛情を示すことはありません。自分の周囲に人が現れたりいなくなったりしても気づきませんし,まるで自分の殻の中に引きこもっているようです。彼は自分の名前を呼ばれてもそちらへ行くことはほとんどなく,どこかへ行かなければならない時は抱き上げるか,手を引いて誘導してやる必要があります。自分の行動をじゃまされるとカンシャクを起こし,暴れることも少なくありません。2歳の時には回転する積木,皿,その他の丸い物が大好きで,逆に自走式の車の玩具は嫌いでした。ドナルドは5歳の今でも三輪車が大嫌いで,むりやりに乗せるとほとんど恐怖に震える状態になります。

 ドナルドは1937年の8月(3歳時)に「環境を変えるため」という理由で保護収容施設(州立結核予防療養所)に入れられた。そこでのドナルドは「いつも何か考えているような放心状態(abstraction)で,周囲の物事には気づかない様子でした。彼の注意を引くためには,そのたびに彼の心の内界(conscience)と,周囲の外界との間にある壁を壊す必要があります」。この状況を見たドナルドのかかりつけ医は,ジョンズ・ホプキンス病院への受診をすすめたが,施設の責任者はそれに反対した。責任者は「ドナルドは施設でうまくやれており,現在さらに完璧な状態になりつつある。彼についてはこのまま独りでそっとしておくのがよい」と主張したのである。ドナルドの両親がジョンズホプキンス病院への受診を要求し,病院への情報提供を希望すると,責任者は1/2ページ足らずの短い紹介状に「ドナルドは精神的に集中するタイプの子供で,あるいは何か分泌線の異常(glandular disease)があるかもしれない」と書いてよこした。

 ドナルドの父親は肉体的には息子とよく似ていた。「几帳面で仕事熱心な弁護士。仕事は成功しており,物事を何でも非常に真剣に受け止める傾向がある。通りを歩く時もいつも物思いにふけっていて,周囲の物や人は目に入らず,歩いている時のことはまったく覚えていない」。ドナルドの母親は大学卒の資格を有し,有能で物静かな性格。夫(ドナルドの父親)は彼女に対して優越感を持っていた。この夫婦には1938年5月22日(ドナルド4歳時)に次男(ドナルドの弟)が生まれている。

 ジョンズ・ホプキンス病院の初診時,ドナルドは身体的にはまったく健康であった。その後,彼はメリーランド州の保護施設「こども学習の家(Child Study Home)」に2週間預けられ,そこでユージニア・S・キャメロン医師とジョージ・フランクル医師によって詳細な行動観察が行われた。ドナルドはフォローアップのためにそれから3回,ジョンズ・ホプキンス病院を訪れている。紙面の制約上,カルテ記録や母親(息子の治療に積極的に関わるようになっていた)との頻繁な手紙のやりとりの詳細については紹介できないが,結局,初診時にドナルドの父親が持参した病歴書類の内容が正しかったことが証明された。ドナルドは微笑みながらウロウロと歩き回り,手指で同じ動作を繰り返しながら,頭を左右に振り続け,3個の音符からなるメロディーを何度も繰り返しハミングしていた。彼は手で持って回転させられる物体を見ると,何でもくるくる回して大喜びした。行動全体が反復的で,動作のパターンは毎回判で押したように同一である。ドナルドの言葉はオウム返しが特徴的で,自分に向かって言われた言葉を,主語を相手に変えてそのまま繰り返し,時には相手の言葉の抑揚(イントネーション)まで真似ることもあったという。

 ドナルドは1942年(9歳時)に,自宅から約10マイル(16km)離れたある貸農場(tenant farm)に預けられた。私(カナー医師)は1945年5月(11歳時)にその農場を訪ねたのだが,その時私はドナルドの世話をしているオーナー夫婦の賢いやり方に驚いた。彼らはドナルドの反復行動にうまく目標を設定することで,常同行為にある種の生産性を付与していたのである。例えばドナルドの何でも計測したいというこだわりに対しては,井戸を掘りながらその深さを報告させることで,こだわりを作業を進める励みに転化させていた。また死んだ鳥や虫を集めてくるというこだわりに対しては,ドナルドに農場の敷地の一画を「墓地」として与え,そこにお墓を建てさせていた。ドナルドは一つ一つの墓に簡単な墓標をたて,それに鳥や虫につけた名前(ファーストネーム),小動物の種類(ミドルネーム),そして農場主の姓(ラストネーム)を記していた。例えば「ジョン・カタツムリ・ルイス,生年月日は不明,死亡年月日はxx年x月x日(死骸が発見された日)」という具合である。畑でトウモロコシの列(うね)を繰り返し数えるというこだわりに対しては,トウモロコシ畑を耕しながら数えさせるという方法をとっていた。私が見ている間にドナルドは6つの長いうねを耕した。彼が馬を上手に操ってうねをつくり,さらに畑の端で方向転換する様子は実に見事であった。農場主のルイス夫妻は明らかにドナルドを愛しており,優しく,そして節度あるやり方で彼に接していた。ドナルドはルイス夫妻の農場から地域の学校に通っていたが,そこでは彼の風変わりなところは理解・受容されていて,学業成績は良好であった。

 以下の記述は,1970年4月6日付のドナルドの母親からの手紙にもとづく。

 息子は現在36歳独身で,私たちと実家に住んでいます。1955年(22歳時)に関節リウマチの急性発作を起こしましたが,幸いにも数週間で治まりました。それ以外は身体的には完全な健康を保っています。ドナルドは1958年(25歳時)に大学で文学士(A.B. degree)の学位を取得して以来,地方銀行で出納係の仕事をしています。彼はその仕事に満足していて,昇進の希望はないようです。職場での対人関係にはまったく問題はありません。一番の趣味はゴルフで,地域のカントリークラブで週に4〜5回プレーしています。地域のゴルフ大会のアマチュア部門で6回優勝したこともあります。ドナルドはキワニスクラブ(Kiwanis Club:主に子供のための活動を行う国際的社会奉仕団体-訳注)で1期会長をつとめ,米国青年会議所(Jaycees)や投資クラブ(Investment Club)に所属し,長老派教会の日曜学校の幹事でもあります。周囲の人達から頼りにされており,与えられた仕事をきちんとこなし,青年会議所の会報の編集では独創性も発揮しました。彼はいつも冷静ですが,自分の考えもきちんと持っています。自家用車を2台所有していて,生活を楽しんでいます。自宅の部屋には自分専用のテレビ,レコードプレイヤー,そして数多くの本があります。大学時代はフランス語を専攻していて,語学には特別な才能があるようです。トランプゲームのブリッジではフェアプレイヤーとして知られていますが,自分からはしようとしません。彼の最大の欠点は,自分から自発的に物事を始めようとしないというところでしょうか。ドナルドは世間話に加わることはほとんどなく,異性にはまったく関心がないようです。

 ドナルドは完全に正常という訳ではありませんが,社会の中で私達が夢にも思わなかったほど良くやっています。もしこの先も現在の状況を維持できるなら,彼はほぼ自立しているといえるでしょう。ドナルドの成長に関して,私達はカナー先生に本当に感謝しています。どうかカナー先生に,ドナルドがかつて4年間お世話になった農場のルイス夫妻と私たちがまだ親しくしており,しばしば会っているとお伝え下さい。ドナルドは気分の問題を抱えていましたが,薬を使わずにすますことができました。私はドナルドが心の中で本当はどういう風に感じているのか,できることなら知りたいと思います。彼が今の状態を維持できる限り,私たち家族は感謝の思いで満たされ続けることでしょう。

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