病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2018年5月19日土曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル21(最終回)

ブログ管理担当のまさぞうです。

 約3年前からこのシリーズを休み休み更新しておりましたが,ようやく最終回になりました。
 今回はこれまでに提示してきたL.カナー先生の成功例について,個人的意見をいくつか述べてみたいと思います。

自閉症者は定型発達者と同じような人生を生きる必要はない
 このシリーズでは社会適応に成功した自閉症者(現在でいう自閉スペクトラム症の人たち)の半生を紹介してきました。自閉症の発見者であるレオ・カナー先生は,1943年に最初の症例報告をしてから1953年までに診断した96人の自閉症児を追跡調査し,そのうち11人を「成功例」として,1971〜1972年に2本の論文(本ブログで考察など紹介ずみ)で報告しました。成功の確率を計算すると,11/96=0.1145...で11.5%となります。
 しかしこの論文や他の文献をよく読むと,11例以外にも社会適応が良かった(あるいは良かっただろうと推察される)ケースが3例存在します。
 まずカナー先生が1950年代の論文で紹介した(しかしなぜか1970年代の論文では報告しなかった)ロバート・F(本ブログの症例10),そして1972年の論文で成功例から除外した「数学の天才的能力を持ちながら交通事故で死亡した1例」また1962年まで大学で成績抜群だったがその後の消息が不明な男性1例」です。
 この3例を成功例としてカウントすれば,社会適応良好なケースは合計14例となり,成功の確率は14/96=0.1458...で14.5%となります。
 「11.5%でも14.5%でも大して変わらないじゃないか」といわれれば確かにその通りです。でもカナーの自閉症のうち7人に1人(1/7は14.3%)が専門的援助なしで良好な社会適応を果たしたという事実は,私自身も含めて自閉スペクトラム症に関わる人達にとって大きな意義を持ちます。
 つまり,カナー症候群ともいわれる発生頻度2〜5千人に1人の重症自閉症ですら,専門的援助なしで良好な社会適応を果たしたとすれば,現在見つかってくるような発生頻度100人に1人程度の軽い自閉症(自閉スペクトラム症)の人達は,もっと高い確率で社会適応が果たせるのではないかと推測できるからです(さらに現在は就労・生活支援,ジョブコーチなどの専門的援助もあります)。
 現在のところ自閉スペクトラム症の長期経過については,「多くの場合本人なりのスピードで成長するが,完全に普通の人と同じになること(治癒)は難しい」というのが大方の見解です。ですから「障害を完全に克服して普通の人になる」という目標を立ててしまうと,一生かかっても目標を達成できない可能性が高いです。残念ながら現在最先端の医学をもってしても,自閉スペクトラム症の人たちを「普通の人とまったく同じにする」というのはなかなか実現困難なのです。
 そこで私のおすすめは,「まったく普通の人」を目指すのではなく,「ちょっと変わってるけど,悪い人ではない」というキャラクターをめざすというものです。カナー先生の症例の1つクラレンス・B(本ブログの症例4)の社会性は「対人関係は不器用だが,表面的には適応している」というレベルだったそうです。完全に普通の人になるのは難しいとしても,このレベルなら工夫次第で到達可能なのではないでしょうか?
 また自閉症系の発達の偏りを持つ人達は,自分の弱点を認識し,よく適性を考えて生活環境を作っていく必要があります。サリー・S(本ブログの症例2)は優れた記憶力を持ち,学校の成績は良かったが,看護師になる夢は果たせず,後に病院の検査技師として成功しました。クラレンス・Bは高等教育を受け,会計士として成功しましたが,管理職として働くことはうまくいきませんでした。つまり「能力があっても適性を考えないとうまくいかない可能性がある」ということなのかもしれません。
 私自身これまでそれなりの数の自閉スペクトラム症の方と接してきて,「社会の中で居場所が見つからずに苦しんでいるからといって,その人に能力がないわけではない(能力の高い人でも社会適応が難しい場合がある)」という現実を痛感しています。一般社会になじめず困っている自閉スペクトラム症の方も,自分の適性をよく考えて進路を選べば,苦しみ少なく過ごせる居場所が見つかるかもしれません。

譲歩・妥協することを学んで選択の幅を広げる
 ただ社会の中で居場所を確保するには,周囲の人たちが提供してくれる条件の中で,トラブル少なく生活していくことが必要です。自閉スペクトラム症の特性として「こだわりの強さ」があります。これはよい方に働けば,真面目さ,忍耐力,物事を完璧にやりとげるなどの長所につながるのですが,悪い方に働くと,頑固で融通・応用がきかない,環境変化についていけないなどの弱点になります。就職活動をしても,自分なりのこだわりで希望条件があまりに難しかったり,自分のやりたいこととできることのギャップが大きかったりすると,なかなか仕事は見つからないでしょう。
 カナー先生の成功例の一人であるウォルター・P(本ブログの症例7)は,自発的な会話がないような比較的重い自閉症であったにもかかわらず,立派に一般社会の中で居場所を見つけました。確かに皿洗いと給仕助手(busboy)というのはアルバイトレベルの仕事ですし,母親と同居していて,厳密な意味での自立とはいえないかもしれません。でも彼の障害の重さから考えると,本当に偉いことだと思うのです。ウォルター・Pのような重い自閉症の人でさえ,専門的援助なしで社会適応できたとすれば,最近見つかってくる自閉スペクトラム症の人たちは,多くの場合障害の程度は軽く,さらに種々の就労・生活援助を受ける機会もあるのですから,自分のこだわりから「あれはイヤだ,これもイヤだ」と選択範囲を狭めなければ,誰でも社会の中で居場所を見つけることができるのではないでしょうか

たとえペースは遅くても成長しつづける可能性がある
 自閉スペクトラム症の一般的経過として「自分なりのペースで成長はするが,一般人とまったく同じレベルに追いつくのは難しい」といわれています。しかしこれは逆にいうと年をとってからでも社会性の成長が続く可能性を示しているのかもしれません。
 カナー先生の成功例の一人であるフレデリック・W(本ブログの症例12)は,6歳から29歳まで特別教育の学校(デヴルー学校)で過ごしましたが,その後家族と一緒に住むようになり,作業所や職業訓練所をへて,33歳(!)の時にはじめてフルタイムの仕事につきました。この実例は,定型発達者では20代はじめ頃までにある程度社会性(対人関係能力)の完成が得られるのに対して,自閉スペクトラム症の人たちにおいては,成年後も社会性が進歩する可能性があることを示すものと思われます。
 また米国の有名な自閉症者であるテンプル・グランディンは,40歳代になって「Thinking in Pictures」という本を書くことになり,そのために定型発達者にいろいろ話を聞いて,自分の物事に対する考え方・感じ方が普通の人たちと違うことを発見して非常に驚いたそうです。40代になっても自分について新しい発見があるというのですから,成年に達した後も社会性が成長・進歩することに何の不思議もないといえるかもしれません。
 自閉スペクトラム症の人たちが若い頃なかなか社会性を身につけられなかったとしても,絶望することなく,長い目で成長を促す働きかけを続けたいものです。

専門的知識がなくても日常生活の知恵でやってみる
 自閉スペクトラム症をはじめとする神経発達症(発達障害)は現在,大きな社会的関心を集めており,それに関して多数の本や雑誌が出版され,ウェブサイトが作られ,マスコミ報道がなされています。また精神科医療,教育,福祉などの分野でも,種々の専門的プログラムが開発・運用されています。ただすでに述べたとおり,現時点では神経発達性をなおす魔法のような治療法は存在せず,種々の援助プログラムも一長一短があって,なかなか1つのメソッドですべての人たちのニーズを満たすというわけにはいきません。(例えば,当院でやっているものも含め勉強会系のプログラムは,知的能力に限りのある人達にはあまり有効性は期待できないようです。)
 そこで私がおすすめしたいのは,「発達障害者一人一人の能力,個性,生活環境をよくみきわめて,一般人の『生活の知恵』の範囲内でいいから,生活上の工夫をこらしてみる」というものです。カナー先生のドナルド・T(本ブログの症例11)に関する報告によれば,

 ドナルドは1942年(9歳時)に,自宅から約10マイル(16km)離れたある貸農場(tenant farm)に預けられた。私(カナー医師)は1945年5月(11歳時)にその農場を訪ねたのだが,その時私はドナルドの世話をしているオーナー夫婦の賢いやり方に驚いた。彼らはドナルドの反復行動にうまく目標を設定することで,常同行為にある種の生産性を付与していたのである。例えばドナルドの何でも計測したいというこだわりに対しては,井戸を掘りながらその深さを報告させることで,こだわりを作業を進める励みに転化させていた。また死んだ鳥や虫を集めてくるというこだわりに対しては,ドナルドに農場の敷地の一画を「墓地」として与え,そこにお墓を建てさせていた。ドナルドは一つ一つの墓に簡単な墓標をたて,それに鳥や虫につけた名前(ファーストネーム),小動物の種類(ミドルネーム),そして農場主の姓(ラストネーム)を記していた。例えば「ジョン・カタツムリ・ルイス,生年月日は不明,死亡年月日はxx年x月x日(死骸が発見された日)」という具合である。畑でトウモロコシの列(うね)を繰り返し数えるというこだわりに対しては,トウモロコシ畑を耕しながら数えさせるという方法をとっていた。私が見ている間にドナルドは6つの長いうねを耕した。彼が馬を上手に操ってうねをつくり,さらに畑の端で方向転換する様子は実に見事であった。農場主のルイス夫妻は明らかにドナルドを愛しており,優しく,そして節度あるやり方で彼に接していた。

ということです。この農場主は医師でも作業療法士でもありませんでしたが,自分たちなりの愛情と知恵をもって自閉症児(ドナルド)に接した結果,カナー先生も驚くような「自閉症者援助プログラム」を作ることができました。このドナルド・Tは,その後大学を卒業して銀行に就職し,地域の教会やクラブの一員として立派に社会参加を果たしたといいますから,3歳から約2年間の州立療養所での施設暮らしの状態から考えると,農場での「援助プログラム」は見事に奏功したといえます。
 またカナー先生は社会適応の面で成功した自閉症者について,

 良好な社会適応を果たしたケースでは,十代の半ばで著しい変化が生じた。彼らは他の多くの自閉症の子供達と違って,自分のおかしな所に気づいて困惑し,それを何とかしようと意識的に努力し始めた。そしてその努力を年齢とともにさらに強めていった。(本ブログの成功例00[2016年8月14日分])

と述べています。つまり自閉症の専門家でない一般人の工夫でも,また自閉症者自身の努力のみでも,社会性や生活能力の改善を引き起こせる可能性があるということです。ちなみに「誰もが持っている常識の中に素晴らしい知恵(良知)が含まれている」という可能性については,中国の思想家王陽明に次のようなエピソードがあります(これを古本で確認するのに約1年半かかりました[笑])。

 「人は誰でも生まれながらにして『良知』を持っている」と説いている王陽明に,ある男が「おれの良知を見せろ」と迫った。王先生少しも騒がず「着物を脱ぎなさい」。その男は着物は脱いだが,褌(ふんどし)はとらなかった。「それも・・・」「いやこればかりは・・・」「それそれ,それが『良知』だ」。

 つまり誰もが持っている「知恵」「良心」「常識」「良識』というものが,そのまま『良知』,すなわち君子・仏・聖人たちの(悟りの)境地と同じものだという考え方です。ですからドナルド・Tの世話をする一般の人達の生活の知恵が,専門家であるカナー先生を驚かせたとしても,何の不思議もないわけですね。

 このブログでカナーの成功例を取りあげた理由の1つに,「専門的援助なしでも,自分なりの生活上の工夫の積み重ねで,自閉症の社会適応は改善する可能性がある」と提案したかったというのがあります。王陽明の『良知』説は,悪い方に働くと「ひとりよがりに走りやすい」という問題につながる可能性もあるのですが,それでも社会の中でひとり苦しんでいる発達障害の方々に自信を持ってもらう助けにはなるかもしれません。

 このブログが対人関係に悩む神経発達症(特に自閉スペクトラム症)の人たちにとって,生き方のヒントになれば幸いです。

 最後に,その時々の気分次第で判断が揺れ動く「定型発達者ども」とうまくやっていくコツを伝授しましょう。

 1800年代英国を代表する政治家であったベンジャミン・ディズレーリは,はじめヴィクトリア女王と不仲でしたが,後に関係を改善し,晩年には女王の最高のお気に入りになっていました。その秘訣を問われたディズレーリは,
「私は決して否定しない。決して反対もしない。そして時々忘れる」
と答えたそうです。

 皆さん,参考になりましたでしょうか?先日,ある頭のいい自閉スペクトラム症の青年にこのディズレーリの話をしたら,
「どの秘訣も苦手なことばっかりだ!」
と頭を抱えられてしまいました(笑)。
           以上

1 件のコメント:

  1. 楽しみにしていた、連載が、終わるなんて、残念です。今後も、違う精神科の、病にもフォーカスをあててほしいと思います

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