病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2015年7月6日月曜日

ウィリス先生のお墓参り

ブログ管理担当のまさぞうです。

6月末にカナダのオタワ郊外にあるショービル(Shawville)という村で
G.C.ウィリス先生のお墓参りをしてきました。

左からまさぞう,末娘のパットさん,飼い犬(ノバスコシア・ダックトーラー)のオリバー君

大先生のお墓は自宅の隣の墓地にありますが,
それが距離にして約1km!

先生のお宅の庭には
リス,シカ,キツネがやってきて,
夜中にはオオカミの遠吠えが聞こえる
というすごい環境です。

まあ当院(北海道立緑ヶ丘病院)も
ついこの間,病院の500mくらい南で
ヒグマが目撃されてますから,
あまりよそのことはいえませんが・・・。

入職を考えておられる方のために言い添えれば,
前回このあたりでヒグマが目撃されたのは約20年前,
したがって次回の目撃談はまた20年後の予定です(笑)。

2015年6月5日金曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル03

ブログ管理担当のまさぞうです。

「神経発達症の人のための人間関係マニュアル」第3回です。
今回のテーマは,
「人生結局まじめにやるしかない」
ということで,また夢も希望もなくて申し訳ありません(笑)。

今回も明治の元勲,西郷隆盛先生の登場です。
西郷南州遺訓7にいわく,
事大小となく,正道を踏み至誠を推し,
一事の詐謀(さぼう)を用ふべからず。
人多くは事の差し支ゆる時に臨み,
作略(さりゃく)を用いていったんその差し支え(さしつかえ)を通せば,
跡は時宜(じぎ)次第工夫の出来るように思えども,
作略の煩いきっと生じ,事必ず敗るるものぞ。
正道をもってこれを行えば,目前には迂遠なるようなれども,
先に行けば成功は早きものなり。

現代語に訳せば,
物事は問題の大小にかかわらず,小手先の策略を使わずに,
すべて誠心誠意をもって対応するべきである。
多くの人は物事が自分の思い通りに進まないと,
嘘やごまかしでその場を切り抜けようとするが,これはよくない。
その時は良いように思えても,後になってつじつまが合わなくなり,
結局失敗してしまうものである。
誠心誠意をもって真正面から問題に取り組めば,
短期的には遠回りのように見えても,
長期的には最も早く成功にたどり着けるのだ。
ということになるでしょう。

実はこれと同じようなことを、
明治維新のもう一方の立役者である勝海舟(かつかいしゅう)が言っています。

勝海舟 氷川清話
世間の人はややもすると,芳を千載に遺すとか,臭を万世に流すとかいって,
それを出処進退の標準にするが,そんなけちな了見で何が出来るものか。
男児世に処する,ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。
あてにもならない後世の歴史が,狂といおうが,賊といおうが,
そんな事は構うものか。
要するに,処世の秘訣は誠の一字だ。

これは現代語訳は必要ないでしょう。

勝海舟は江戸幕府が倒れたときの軍事総裁で、
幕府側の事実上の最高権力者として薩長軍との交渉にあたり,
江戸の無血開城を実現しました。
薩長軍の総司令官西郷隆盛とは敵同士だったわけですが,
実はこの二人はお互いに相手を理解し,尊敬しあっていて,
本当の知己(親友)であったといわれています。
その親交の背景には,ともに「誠」を行動の規範とするという
共通の哲学があったわけです。

ここでいう「誠」,あるいは「至誠(最高の誠)」については,
世間一般には新撰組の隊旗に書いてあった文字として
知られているかもしれません。
ただこれの最も有名な出典は,
中国儒教の経典「中庸」です。

中庸 第11章1節
誠なる者は,天の道なり。
これを誠にする者は,人の道なり。
誠なる者は,勉めずして中(あ)たり,
思わずして得,従容として道に中たる,聖人なり。
これを誠にする者は,
善を択(えら)びて固くこれを執(と)る者なり。

これは岩波文庫の現代語訳では
誠とは天の働きとしての窮極の道である。
その誠を地上に実現しようとつとめるのが,
人としてなすべき道である。
誠が身についた人は,
努力しなくてもおのずから的中し,
思慮をめぐらさなくてもおのずから達成し,
自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている,
これこそ聖人である。
誠を実現しようとつとめる人は,
努力をして本当の善を選び出し,
そのうえでそれをしっかりと守ってゆく人である。
となります。

明治の文明開化以前の日本においては,
教養人はみな漢籍(中国の古典)を勉強していました。
これは現代日本のインテリがみな
第1外国語として英語を勉強しているのに似ています。

ですから江戸時代末期の武士にとっては
「誠」といえば
幼い頃から習い覚えた儒教経典「中庸」の一節が
すぐに思い出されたはずです。

西郷と勝は初対面(江戸無血開城の4年前)の時から
意気投合したといわれており,
これはあるいはお互いに相手の背景にある「誠」の思想を
感じとったからかもしれませんね。

江戸幕府と明治新政府の双方の最高権力者が
共通の処世の秘訣としてこの「誠」をあげているのですから,
「問題解決にあたっては小手先のごまかしをやらず,
ただ誠心誠意をもって正道を歩む」
というのが人間関係に対処する
秘訣であることは間違いないでしょう。

「誠」の思想は少なくとも「中庸」の成立した
紀元前3世紀頃(正確な時期は不明)までさかのぼることができます。
それが明治維新までの約2000年間真理であったとすれば,
明治維新から約150年後の現代においても
やはり真理であり続けているのではないでしょうか。

次回のブログではもう一つ西郷・勝に共通した思想背景として
陽明学の存在を考えてみたいと思います。

2015年3月31日火曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル02

ブログ管理担当者のまさぞうです。

先月アップした,
「神経発達症の人のための人間関係マニュアル」
の続編です。

今回のテーマは,一言でいえば
「人を動かしたいと思えば,まず自分が一生懸命やるしかない」
ということです。
夢も希望もない結論ですみません(笑)。

一般に神経発達症の人は,
独りでする仕事は比較的得意だが,
チームワークや,管理職として部下に接するのが苦手と言われます。
コミュニケーションがうまくとれず,
また人の気持ちがよく分からないため,
相手の感情を逆なでするような行動をとってしまい,
同僚や部下から嫌われてしまうことが多いのです。

今回は日本史上最大のカリスマの一人,
西郷隆盛の登場です。
西郷隆盛(南州先生ともいいます)は明治維新の立役者の一人で,
維新の功業を立てた後,
明治十年の西南戦争で反乱軍の大将として死にます。

この人の人間的魅力は恐るべきもので,
たまたま反乱の時に居合わせた他県の若者が
「自分はここへ来て親しく西郷先生に接することができた。
一日(西郷)先生に接すれば,一日の愛が生じる。
三日先生に接すれば,三日の愛が生じる。
親愛の情は日に日に増して,もはや離れることなどできない。
今はただもう先生と生死を共にするだけだ」
と自ら戦死を選んだほどでした。

この西郷隆盛の言葉が「西郷南州遺訓」という本になって残されています。
岩波文庫版遺訓第4にいわく
「万民の上に位する者,己れを慎み,品行を正しくし,驕奢を戒め,
節倹を勉め,職事に勤労して人民の標準となり,
下民その勤労を気の毒に思うようならでは,政令は行われがたし」

現代語でいうなら,
「人の上に立つ者は,自らの行動を律し,贅沢をせず,
謙虚に仕事にうちこんで部下の模範となり,
部下がその苦労を気の毒に思うくらいでなければ,
下の者は動かない」
ということになるでしょうか。

いくら言葉で格好いいことをいっても,
上司が部下より短時間しか働かず,
多くの給料をもらって,イヤな仕事を人に回し,
威張りちらしていたら,
部下はいうことを聞いてくれません。

これは明治時代の日本だけの話ではなく,
古今東西を問わず優れたリーダーはみな
部下よりハードに働いています。

古いところでは古代ギリシアの賢人クセノポンは
「キュロスの教育」第1巻第6章8で
理想的君主として描かれているペルシアのキュロス大王に,
「一部の者は,支配者は支配下の者たちより高価な食事をし,
多くの黄金を家に所有し,長時間の睡眠をとり,
あらゆる点で苦労のない人生を送ることにより
支配下の者たちと異ならねばならない,と考えています。
だが私(キュロス)は,支配者は安逸に暮らすことによるのではなく,
前もって工夫をし,労をいとわないことにより,
支配下の者たちと異ならねばならない,と思います」
といわせています。

日本でも「日本書紀」第11巻に
仁徳天皇が民の家から竈の煙が立ち上っていないのを見て
その貧しさを憐れみ,3年間租税を免除したため,
3年後には天皇の宮殿は荒れ放題になったが民は豊かになったこと。
さらにその後3年間(合計6年間!)も租税を免除した結果,
民がみずから争って税を納め,使役に従事したので,
徴税再開後には荒れ果てた天皇の宮殿が
驚くべき速さで新築されたことが書かれています。

また江戸幕府役人の証言を集めた「旧事諮問録」第4編には
江戸幕府将軍の日常生活があまりに質素で多忙なため,
そばで仕える小姓たちがよく冗談に
「おまえは何になる。私は公方様(将軍)にはなりたくない」
といっていたとあります。

現代でも日産自動車の社長カルロス・ゴーン氏が
毎日早朝から深夜まで働くのは有名です。
あまりの長時間勤務に
「セブン-イレブン」と呼ばれていたとか・・・。

まあそういうわけで,
いい上司になるためには
質素倹約のライフスタイルに加えて
部下から気の毒に思われるくらい
一生懸命働かないといけないわけですね。
やれやれ。

私も西郷南州先生を見習って,
ハードワークと質実剛健の生活を心がけましょう。
仕事の合間には,先生の好物である
豚肉と甘い物でもいただきましょうか。
でも西郷先生の持病である
フィラリアや糖尿病は勘弁してほしいですね・・・(笑)。

2015年2月19日木曜日

神経発達症の人のための人間関係のマニュアル01

ブログ管理担当のまさぞうです。

Mさんとの約3年越しの約束で,
「神経発達症の人のための人間関係のマニュアル」
を作ることにしました。

Mさんのリクエストは,
「これさえやれば職場で円滑にやれる」
という対人関係のコツを教えてくれというものです。
決して簡単なテーマではありませんね(笑)。

儒教の古典,四書五経の一つである
「大学」に「絜矩(けつく)の道」というのがあります。
「大学」第六章第一節にいわく,

ここをもって,君子には『絜矩(けつく)の道』あるなり。
上に悪(にく)むところ,もって下を使うことなく,
下に悪むところ,もって上につかうることなかれ。
前に悪むところ,もって後に先だつことなく,
後に悪むところ,もって前に従うことなかれ。
右に悪むところ,もって左に交わることなく,
左に悪むところ,もって右に交わることなかれ。
これをこれ『絜矩の道』という。

これを岩波文庫の訳をもとに現代語訳すると,

そこで,優れた人物には『絜矩(けつく)の道』という方法があるのだ。
つまり,目上の人にされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で目下の者を使ってはならないし,
目下の者にされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で目上の人に仕えてはいけない。
前を行く人にされたらイヤだと思うことがあれば,
そんなやり方で後ろから来る人の前に立ってはいけないし,
後から来る人にされてイヤだと思うことがあれば,
そんなやり方で前の人についてはいけない。
自分の右にいる人からされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で自分の左にいる人に接してはいけないし,
自分の左にいる人からされてイヤだと思うようなやり方で
右の人に接してはいけない。
こういうのを『絜矩の道』,すなわち身近な一定の基準をとって
広い世界を推しはかる方法というのである。

となるでしょうか。

注釈には『絜矩の道』について,
「『絜』は提携の意。『矩』はさしがね,定規。
さしがねを手にとってはかる,
つまり自分のまごころを基準として他を思いやること。
ここではそれを上下四方にわたって広く行うことを説く」
とあります。

つまり
「自分の心をものさしにして人の心を推察し,
自分がされてイヤなことは,
(人にとってもイヤなことだから)人にしないようにする」
ということです。

一言でいえば,
「自分がされていやなことは,人にもするな」
ということになりますが・・・。

これはいうのは簡単ですが,
実践するのは容易ではありません。
たしかに
「自分がされてイヤなことは人にはせず,
自分がしてほしいと思うことを人にしてあげる」
という生き方が実行できれば,
職場でも家庭でも好かれること間違いなしです(笑)。

ただそのためには自分の好き嫌いや利己心を克服する必要があり,
さらに発達の問題を抱える人たちにとっては,
自らのこだわりをおさえ,
定型発達者との心理的傾向の違い
(感情や世間的常識がわかりにくい)
などのハードルを乗り越えなければなりません。

ただ大まかな方向性として,
「自分がされてイヤなことは人にもしない。
自分がしてもらいたいことを人にしてあげる」
という生き方が,
対人関係円満の秘訣であるということです。

大げさに言えば
「東洋の賢人が教える対人関係の極意」
ということになりますね。

次回以降もこの種の
「言うは易く,行うは難し」
というお話になるでしょう。
またお時間があれば,おつきあい下さい。

2015年2月8日日曜日

G.C.ウィリス先生の日本語HP

ブログ管理担当のまさぞうです。

このブログでも何度もとりあげている、
カナダ人内科医G.C.ウィリス先生(1923~2012)の
日本語ホームページが出来上がりました。
https://sites.google.com/site/virtualclinicofdrgcwillis/home/japanese

動脈硬化とビタミンCに関する仕事についても紹介しています。
大先生はこの研究業績で
1953年にカナダの内科系最優秀研究賞を受賞されました。
「動脈硬化の原因は高脂血症ではなく、高血圧による血管壁の損傷であり、
それはビタミンCで治療できる」
ということを動物実験と臨床試験で完璧に証明しています。
当時は果物会社から非常に魅力的な研究支援の申し出があったそうですが、
先生は中国にキリスト教伝道に行くからと断ったのだそうです。

後に同じ
「動脈硬化の原因は血管壁の損傷である」
というテーマで他の研究者がノーベル医学賞を受賞したとき、
ウィリス先生は
「もし私が受賞していたら、今よりも傲慢な性格になってしまっていただろう」
と言ったとか…。

大先生によれば
「ビタミンCの研究は何十年かの周期で繰り返し流行する」
とのことで、またそろそろ流行の時期に来ているかもしれません。

論文中に
「マウス、ラット、ウサギ、ニワトリなどの実験動物とは異なり、
ギニアピッグはビタミンCを体内で合成できない」
というくだりがあります。

私は以前御家族から、大先生は自宅で「ギニアピッグ」を飼育して
実験に使っていたと聞き、
庭に大きな豚小屋を作っている情景を想像していましたが、
今回、ギニアピッグが日本でいうモルモットであることを初めて知りました。
まあブタよりは飼いやすいでしょうけれど、
それでも自宅で飼育した動物で実験・研究を行うとは、
恐るべき研究者魂です。

それだけの業績をなげうって、
アジア奥地での伝道医療に献身するというのは、
普通の日本人にはできない発想ですね。
そのレベルの頭脳をもってへき地医療に赴いたからこそ、
病歴と身体所見だけで9割以上診断できる、
という臨床医として究極の境地に到達されたのでしょう。

私なんかは大先生の知識・技術の5%くらいしか使えていないですけど、
それでもビタミンCは毎日服用させていただいております、ハイ。